ファッションとカルチャーと

ファッションとカルチャーと

すべての道は想いで通づる。セントラルオブトーキョー、丸の内にて、東京の文化を創出し続ける大先輩の大先輩、佐藤俊博氏にお時間をいただきました。

Profile: 佐藤俊博

1952年、山形県酒田市に生まれる。
1975年、伝説のディスコ「ツバキハウス」の店長に就任。以後、数々のディスコや飲食店を手掛け、ヒットさせる。
1999年頃からは「食文化」の素晴らしさを再認識し、食材にこだわったレストランも手掛けるようになる。

 


丸の内で食堂とスナック?

ー失礼ながら東京ナイトシーンの元祖、というイメージを勝手に持っていたので丸の内ハウスの※musmusをOPENされた時はとても驚きました。スナック来夢来人は夜繋がりで、佐藤さんが手がけられたことは想像しやすかったけれども、musmusは今でこそどこにでも受け入れられるコンセプトである”Farm to Table"を2007年、新丸ビル開業当時から実践されたご飯屋さん。どういった経緯でスタートされたのですか?

 

 佐藤:三菱地所さんが丸の内エリアの再開発をするにあたって、ビルの中といえども”街”をつくれないか、というイメージがあったんです。
僕は、いろんな人が集まり、いろんなことが生まれる。そこにいる人が何かを感じてくれてそれが文化になると考えていて、カタチや街が変われどずっと取り組んできたのが『溜まり場をつくりたい』ということなんです。

自分の座った席ですべてが完結するのがレストランだとすると、食堂はもう少し流動性が高い。知り合いがいれば「やあ」と挨拶から始まり席をうつったりなんかして会話が始まります。お酒だけ飲む人もいれば定食で空腹を満たす人もいる。とても有機的で自由な空間です。そんな溜まり場をつくりたかったんです。その点においては過去手がけてきた『※GOLD』や『※みるく』と同じことで。

子供の頃、親は働いているから食事は町中の食堂で食べてきなさい、ということも多々ありました。食材は魚も肉も基本的には誰々さんのところのもの。今日は農家さんの誰々さんに電話しとくからトマトいただいていらっしゃい、というようにとても自然なコミュニティで営まれていたんです。コミュニティって運命共同体なので日本の文化ってやっぱり小さな街ごと、村ごとに小さくみんなで支えあっていた時代があって。そんな原体験もあり、ここmusmusで出すのはやっぱり知っているもの、おすすめできるものを提供したいなと思いました。僕も少し身体の不調があって田舎に帰った時に、田舎が嫌で逃げてきたはずなのになんだかとってもホッとしたりなんだかとっても美味しいと感じたり。そんな経験も影響していると思います。生産者がどういう想いでどういう場所でつくったものか、説明できるものだけ使おうと決めました。

日本は島国で四季があって、地域ごとに多彩な食文化があります。
僕は東北で、冬場になると野菜がないんです。おのずと保存食の文化があったり。日本独特の発酵文化で、お酒や醤油お味噌など。

アメリカにすごく憧れがあってクラブ運営を始めたのだけれども、時を経てやっぱりこういった日本の食文化は伝え継承すべきではないかという想いが芽生えました。

そして実際に生産者の方々を訪れるにつれ、農業の課題、特に流通の課題も目の当たりにしました。売り手都合で野菜の規格が定められ、それに適わないとせっかくの農作物が流通しない。
流通させるために規格を合わせるように計画的に農業仕様と思うとやはり種子選択をして農薬に頼らざるを得ない、といったような問題があったんです。我々が農地を訪ね歩いた当時は自分たちの食べる分は別の畑でつくっている、農薬を撒くから子供たちはせっかくの田舎なのにむしろ外で遊ばせられない、という状況が多々あって。でもそこに反発して効率より自分たちの理想を実現して一生懸命農業している方々も全国にいらっしゃったんです。そんな方々の農作物を積極的に取り入れていきました。でも今では若い方を中心に自然を慈しみながら農業をしたいと行動する方々もどんどん増えてきて、親と喧嘩しながら(笑)。
とても頼もしいです。


現在、当たり前だけれども

ー行ききったところからその反動として自分で選択をする、という流れで全国に意志を持った農家さんが増えてきていることを私も肌で感じていますし、その決断に踏み切れるのってやっぱり”出しどころ”が見えてきたということも大きいと思います。やっぱり需要と供給のどちらものバランスがとても大事ですし、まずこんな都心の一丁目一番地で正直に作った野菜が求められるという需要を先に生み出されたことがとても感銘を受けます。

 

 佐藤:そうですね。やっぱり既存の流通の仕組みの中では生産者さんが手に入れる対価はとても少なかったんです。もちろん抜群の目利きによって対価を生み出す中間者もいらっしゃいますがうちはあくまでも食堂なので、付加価値が付いたものは仕入れられない。農家さんが自信をもって送ってくれた野菜をうちで蒸したりサラダにしたり、食堂の役割として美味しい野菜を美味しく提供することを始めました。

 

ー当たり前のように聞こえますが、それってとてもヘルシーな革命ですよね

 

佐藤:ここも僕は溜まり場が作りたいから”食堂をやりたい”というところまでは見えていて、他の方と話してコンセプトをつくっていったのですが、「東京っていろんなものがありすぎるからこそこれからやるのはどんなのがいいんだろうね」と考えていく中で都築さんがやっぱりちゃんとした食材が大事だよね、そして元気な食材は蒸すと甘みが出たりとにかく一番シンプルにおいしいよね、となったんです。蒸す専門店はまだ存在していなくて、それで主軸が決まりました。

 

ーえ。私佐藤さんのことだから、蒸すと娘でムスムスかと思っていました。。。

 

佐藤:ただね、堅苦しくやっても面白くないので都築さんが漫画っぽいテンションでやるのがいいね、となって、日本ではあまりハマる方がいなくて、(今では大変な売れっ子ですが)タイのアーティストのタムくん(ウィスット・ポンニミット氏)に壁画を描いてもらいました。一面には(丸の内だけに)”OLさんの一日”をコンセプトに、こっちの一面には”自然”について。タム君は今現在このタッチで描くことはないので、むしろレアになって、ファンの方が写真だけを撮りに遊びに来てくれたりしています。もう一つのお店、来夢来人もそうですけれども最初は綺麗な壁だったのがいろんな人が来てね(錚々たるアーティスト・著名人の方々です)、勝手に描いたりステッカー貼ったりしていって、映画やなんかの宣伝も、宣伝マンに持って来させないで自分で持ってきたものを勝手に貼るぶんには良いよ、って言って今ではとても賑やかになっています。

 

 

ーそれが15年分。やはり文化は人と歴史で成り立って形つくられるものですよね。


溜まり場

佐藤:カタチや街が変われどずっと取り組んできたのが『溜まり場をつくりたい』ということなんです。いろんな人が集まり、いろんなことが生まれる。そこにいる人が何かを感じてくれてそれが文化になる。GOLDのディレクターの※るりさんに、次に何をやりたいか聞いてみたんです。ロックが楽しめるナイトクラブをつくりたい、というのが次にやりたいことだと。当時日本にはライブハウスはあれど、演奏が終わった後もみんなで集まってお酒を飲んだりおしゃべりをしたり、朝まで頼めるナイトクラブがなかったんです。みるくを始める頃、恵比寿(渋谷区)はようやくビール工場がガーデンプレイスに変わり創業をした頃で、まだまだ西口の方は元気がなかった。地元の不動産屋さんのご子息が中華屋を始めたんだけどうまくいかずに店を閉じちゃって、その方からここいらのエリアをもっと元気にしたいという話もあり、場所のご縁とるりをはじめとした仲間たちの想いもあり、じゃあそれをやろう!ということで始めたのが”みるく”です。※都築(響一)さんとたくさん話し、ただのロックじゃつまらないから『エロとロック』をコンセプトにしようと決まり、それーッとみんなが集まって。中華料理屋の内装をそのままにしつつ、GOLDからスピーカーを移植するなど音楽の環境もしっかり整えました。当時まだ学生だった※会田誠さんが壁に絵を描いたり、※宇川(直宏)さんが映像をやったり、みんなに参加してもらってああいうお店になっていきました。冒頭話に出てきた『TOKYO ATOM』もまた面白くて、定期的に発刊するフリーペーパーって当時はそんな存在していなかったので日本で初めてくらいの感覚です。それも都築さんとマーク(編集長)でみるく発足と同時にフリーペーパーもスタートさせました。

 

ー当時、本当に穴があくまで読み込んでいました。本当に全ページ面白かったです。

 

佐藤:今またなんか面白いよね。

 

ーフリーペーパーで一方的に知っていた方々と時を経てこうして関われるようになった今、当時読んでいたコラムのひとつがとても記憶に残っています。数年後にご本人に答え合わせをしてみたのですが、当のご本人は「記憶にない」と。。。でも今都築さんがやられているメルマガで、当時の編集長であられたマークさんが毎週1刊づつハイライトし、回顧を交えたコラムと全ページスキャンデータを配信してくれているので、いつかその事実確認ができるのでは、と毎週の配信をドキドキしながら待っています。

 

佐藤:ふふふ、それは楽しみですね。今毎日みんな頑張ってスキャンしていますし、全部残っていますから。きっといつか出てくるはずですよ。


素材

 

ーさてさて、食で”蒸す”って究極の原料(素材)の活かし方だと思うんですね。ものづくりをする上で究極の活かし方をすることそのものが日本の強みだと思っています。というのも日本は縦長で四季折々あり、自然物のバラエティも豊か。素材の良さを最大限に活かし創造物をつくるのは伝統工芸然り、食も然り。我々TMもシルクという原料をどうやって人々の生活の中に活躍するカタチに変えて活かしきるか、というのが命題だと思ってブランド運営をしています。最近佐藤さんが気になっている素材・原料ってありますか?

 

佐藤:うーん。僕はとにかく大量生産が苦手なんです。戦後アメリカ式の大量生産の仕組みが一気に入ってきて、その中でも大事にしたいのが食でももともと自給自足というのがあって、少し余分にできたものを必要な方に譲りましょう。これが多分基本だったはずなんですよね。いろんな生活様式に変わりながら、今って”売るために”物を作っているような時代がずっと続いていますね。多分シルクもそうだし、丹後ちりめんもそうだし、大量生産でなく、ちゃんとしたものを作りましょう。そういう意思をもっている方々が好きなんですよね。もちろんそこには対価が妥当なものでなければならないし、そこをお手伝いするプロジェクトも手掛けています。ひとつひとつの価値観というか、あ、でもここ最近のcovidの状況でかつての盤石を疑う余地もなかった定説の価値観がガラガラと崩れて革新されている現状を見ているとなんだかある意味ではチャンスなのではとさえ思っている現在です。今お手伝いしているプロジェクトのひとつに”TANGO OPEN”というものがあります。1720年ごろに誕生した丹後ちりめんはもう300年の歴史があり、当時はそれこそ需要と供給が存在し、もちろん技術は素晴らしく特別なもので現代まで息づいているわけですが、生活様式も変化し求められる形に進化しようという想いをより良いものにしていこうと参加しています。もちろん先の出た農家さんの何代目、の覚悟のようなものはあちらこちらで芽吹いてはいるものの、なんだかひとつのまとまりとしてムーブメントが起きていない。

 

 ー (ここだけの話、地方あるあるですね、、、)

 

佐藤:。。。 組合があるのですが、参加してはいるものの会員でがあるが集としてまとまりがなんだかなあという状態を打破したいという市や組合と一緒に、どうしたら良い未来を創っていけるかを考えています。”個”でストラグルするより”面”でつながっていこう、技術にデザイン(クリエイション)とニーズ(マーケティング)を付加することでニーズが生まれる。そんなことをやっています。だからご質問の素材、ということでは答えはないですがとにかく大量生産と対極の取り組みに楽しみを感じています。

 

 ーお話を伺っていると、結局のところ佐藤さんがやられているのは”コミュニティつくり”なのではないでしょうか。コミュニティはその言葉の通り、”コミュニケーション”がなければ始まらない。そのコミュニケーションをつくっていくことが佐藤さんがやられていることなんだと深く理解できました。

 

佐藤:そうだよね。みるくでもGOLDでも、(新宿)ゴールデン街なんかでも何か表現したいことがある人達が集まると、普通の話をしていたはずはいつの間にか喧嘩になる。一般の方から見たらとんでもないです。ただ場を共有する、って、そういう人たちをつなぐ役割がある。みるくで言えばるりだったし、そういう人がいて化学反応が起きて、また新しいことが生まれる現場がとても大切なんです。

 

ー私的な経験で言えば”夜遊び”ってとっても特別な経験でした。昼までは絶対に出会えないような方々が五感を共有して不特定だけど感性で共通言語が生まれて、会話が始まる。本当に特別な時間でした。

 

佐藤:ここ最近ずっと某国立大学の学生と食のプロジェクトをやっているんです。勉学に(だけ)励む彼らに食の豊かさを実感してもらったら、もしかして官僚になった時にはもう少し現実味があって愛のある政策を通してくれたらいいな、みたいな希望的観測も持ちながら(笑)。ある年は秋田にファームステイみたいなことをやって、地元のマダムたちがつくったきりたんぽ鍋を振舞ったらこれが大ヒット。その年の五月祭できりたんぽを振舞うブースをやって。外国からの留学生もいるし、みんなもちろん優秀だから卒業したらそれなりのポジションに就く予定ですよね。そこからまた秋田のマダムとどこかの国の国際交流が生まれたり、一過性でなく一生を通じて『なにか』につながっていくと楽しいですね。優秀な学生さんほど目的と目標の設定があべこべだったりするので、人生の目的が豊かになるための刺激を、ここ丸の内で時に来夢来人でたくさんお酒を飲みながら伝えているつもりです。

 

 


未来に継承することを前提に

ー新しいもの、って人と人が摩擦しあうと、生まれるんですね。

 

佐藤:うん、最初から合うことなんてなかなかないですよね。最初は何だこの人は、みたいな違和感とかを持ちながら、でも事実感じていることが大事で、そのきっかけから「じゃあ自分はこう考える」という考えが広がって、また新しい感覚を手に入れたりする。うん。それはとても素敵なことだよね。

 

ーさて、お洋服の話を伺います。佐藤さんはいつもビシッとスーツをお召のイメージです。逆にスーツじゃないオンの時はあるのでしょうか?

 

佐藤:お仕事のお相手によって、スーツじゃない時も普通にあります。

 

ーそうなんですね!では、スーツの日ってどんな日ですか?

 

佐藤:スーツはスーツにもよりますが、やはり相手に合わせてTPOに合わせて種類も違います。年配の方とお会いする場合だったり、正式な打ち合わせだったりはやはり正装で。地方に行くときもカジュアルながら上着は必ず持っていきます。でもスウェット上下なんかを着る機会もありますよ!

 

ーまだまだ存じ上げないお姿が!

 

佐藤:普通に着ますよ。※康一郎(山本)のだったり。

 

ー私物ですね。

 

佐藤:うんうん、あと※馬場ちゃん(馬場圭介)なんかはオーダーしているっていうより勝手に似合うんじゃないかと請求書付きで送りつけてくれたり。

 

ーあ、そういう営業もありなんですね!うちも今後勝手に請求書付きで送りつけますね。

 

佐藤:(苦笑)。分かりました、お待ちしています。

 

ー正装についてもっと教えてください。ザ・正装は逆にどんな時ですか?

 

佐藤:繰り返しになりますがやはり相手に合わせて、というところです。オーダーで誂えたものは30年以上着ているものもありますし。一番古いので40年以上かな、もちろん体形に合わせて直しながらですけれど。海外に行く機会を活用してお願いすることも多いですね。未だにパターンもありますし、シャツをお願いすると同じ生地でトランクスも作ってくれて。

 

ー今TMでご愛用頂いている三つボタンのトランクスがまさにそういったテーラー仕立ての物なんです。

 

佐藤:そうですよね、とても親近感が湧きましたし気に入っています。

 

ーあとはチーフもつくってくれますよね?

 

佐藤:そうそう。

 

ーそういう仕立のもの、とても好きです。もともとメンズと銘打ってブランドを始めたのはまさにそんなところが理由です。織物と編み物の中で”織物”を着る機会が減っている気がします。それはとても寂しいことだと思い、”シルク”でキチンと仕立てたものを”綺麗なシルエット”でお召いただけるプロダクトが提供できたらという想いから、まずはメンズというカテゴリにフォーカスしてブランドをスタートさせました。やはり女性のドレスと男性のスーツでは技術も作り方もアプローチも違います。メンズのオーセンティックを踏襲したものを女性が素敵だと感じてお求め頂いている現状にとても愉しさを感じています。

 

佐藤:なるほどね。僕もかつて先輩に教わったのは、『全部は無理だからまずはシャツでもジャケットでも靴でも”なにかひとつ”、良いものを身につけなさい』ということだったんです。それで誂えたシャツは、着ているうちに襟とか袖とかがヘタレてきますよね。それを直しながら着なさい、と教わりました。大量生産が起こる前の、80年代くらいでしょうかね、あの当時はやっぱり丁寧に作っていたんだろうと、今まさに若い子たちが、その当時の肩パッドが大げさに入ったジャケットなんかを着ている様子を見かけると、残していく価値のある物作りとケアをしてきたことを嬉しく思います。 

 


大切につくること

ー素敵ですね。我々も、大事につくって、それを大事に長く手元において欲しいと考えて、シルクの特徴や、どうお手入れするのが良いか、等の情報をホームページなどでお伝えしています。何より、大事にしたいなと思っていただけるクリエイションが一番の優先順位です。

 

佐藤:やっぱり『使い捨て』は良いとは思えませんね。自分のもであるけれど、丁寧に扱えば次の世代に残していけるようなもの、それがとても大切にしたいことです。手直しはもちろん必要かもしれないけれど、それも含めて付き合うものを身の回りに置いておきたいですし、そういったひとつひとつが人間の感性を磨くと思うんです。

 

ーTMは基本的にはシーズンレスでプロダクトをリリースしています。じっくりつくって、じっくり伝えて、伝わってからずっとそこにあって。マーケットの都合でなく、物作りをする責任としてリリースしたものは永久定番で、気に入って着てくれてヘタレてまた同じものを欲しいと思ってくれたらいつでもそこにある、ということが大切なのです。

 

佐藤:買い支える、という消費行動もとても大切なアクションですよね、まだまだ例えば調味料なんかも価格が安すぎる。醤油もみりんも、一回の値段にしたら大したことがないんだけども一度のお買い物で(変なものには大枚叩くのに)一瞬の評価額が決まるこのマーケットをなんとか変えていきたいですよね。でも今はそういう考えの人も増えています。きっとその想いは届くでしょうし、だからこそ僕は人が集まる『場所』を作るんです。てんでバラバラなこの世の中で思わぬ出会いが叶うのが、『場所』でしょうから。

 

ずっとそこにいたして、いつもとびっきりのオーラを放たれて人間が人間たる所以を創り出される佐藤さんに貴重なお時間を頂きました。職も文化も工芸も、すべて丁寧に、大切にしよう、という心意気を伺えて本当に光栄な時間でした。musmusコンタさん(TOKYO ATOMでも度々ご登場されているので拝見しています)、丸の内ハウス統括マネージャー玉田さん、来夢来人のみなさん、取材のご協力誠にありがとうございました!

 

注釈(敬称略)
※都築響一
1956年、東京都生まれ。作家、編集者、写真家。上智大学在学中から現代美術などの分野でライター活動を開始。「POPEYE」「BRUTUS」誌などで雑誌編集者として活動。1998年、『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(筑摩書房)で第23回木村伊兵衛写真賞を受賞。2012年から会員制メールマガジン「ROADSIDERS' weekly」を配信中で、インタビューにて言及されていたみるくのフリーマガジン『TOKYO ATOM』についても存分に連載中。
musmus
今回インタビューの舞台としてお邪魔した新丸ビル内の食堂。野菜本来の美味しさを存分に活かしたカラダとココロに優しい定食が大人気。
会田誠
日本の現代美術家。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、都市計画を手掛けるなど表現領域は国内外多岐にわたる。
※宇川直宏 ( @DOMMUNE
自身を「現在美術家」と称し、映像、グラフィックデザイン、VJ、文筆、キュレーションなど多岐にわたって活動し、ライブストリーミングスタジオ『DOMMUNE』を主宰。
※山本康一郎 ( stylistshibutsu
ファッションスタイリストであり、雑誌や広告でクリエイティブディレクションとしても活躍。〈スタイリスト私物〉名義で「いま、自分が欲しい」アイテムを展開中。
※塩井るり ( @mamaluli
中目黒『Break First Club』オーナーであり、かつて佐藤氏とともに東京カルチャーシーンを創出しつづけた東京カルチャーのキーパーソン。
※馬場圭介 ( keisukebaba1007
数多くのミュージシャン、俳優、タレントのスタイリングを手掛けるメンズファッションシーンを牽引し続けるスタイリスト。場やシーンを様々な形で提案し、2019年からは自身のブランドNORMANをスタート。
※GOLD
1989年芝浦にて開業された大型ディスコ。未だにその存在は語られ続け、東京のクラブシーンの幕開けとも称される。
みるく
恵比寿にて
“エロとロック”をコンセプトに’90後半のカルチャー発信基地であり、バンドもDJも楽しめたナイト・クラブ。